(幼少期→カタリナ誘拐事件後くらいの話になります)

何かすごく欲しいものがあってそれをずっと待っていた気がした。
しかし、それがなんだったかもう思い出せない。

「ジオルド様は本当に素晴らしいですわ」
「ジオルド様は完璧ですわね」

向けられるお世事交じりの賛辞に心が動くことはない。作った笑顔で相手の望んでいるであろう言葉を口にする。そうすれば相手は満足する。

世界はひどく退屈だった。嫌なことも特にないが、面白いこともない。
同じ毎日がただ坦々と過ぎていくだけだった。

そんな日々の中、二つ上の兄が婚約した頃から『ジオルド様にもぜひ婚約者を』という声があがってきて少し煩わしくなってきた。

だから、僕は丁度いいと思って中立派であるクラエス家の令嬢、カタリナ・クラエスと婚約を決めたのだ。
それで煩わしさは解消され、また代わり映えのしない退屈な日々を過ごす予定だった。

だけど、婚約を伝えに言ったカタリナ・クラエスと対面してから、日々は大きく変わっていった。

破天荒なカタリナに引っ張りまわされるうちに、色のなかった世界は色づき、今まで知らなかった感情を覚えていく。

「空が青い、綺麗だな」

まさか自分が芝生に仰向けに寝転がり、こんなことを呟く日がこようとは自分で自分に驚く。

芝生の上に寝転がるなんて、カタリナに出会わなければ絶対にしなかっただろうな。

そうして僕に寝転がるように勧めたカタリナはと言えば『外で食べるお菓子を忘れた』と取りに戻っていた。

しばらくそうして空を見上げていると、元気な足音が近づいてきた。
カタリナが戻ってきたみたいだ。
はじめは普通に出迎えようと思ったけど、なんとなくいたずら心で、目を閉じて寝たふりをしてみた。カタリナはどういう風に反応するかなと。

「あれ、ジオルド様、寝ちゃったんですか?」

戻ってきたカタリナは思い通り、僕が寝ていると思ったようだ。
どうするかなと目を閉じたまま待っていると、どうやら横に腰かけたようだ。

やがて頭にふわりと優しい暖かさを感じた。
はじめはなんだかわからなかったが、やがてそれがカタリナの手だと気が付いた。
カタリナの手はゆっくりと僕の頭を撫でた。

そしてカタリナは、
「大丈夫、大丈夫」
そう言った。

どういうことかわからず固まった僕だが、しばらく考え、そう言えば少し前に本当にカタリナの前で居眠りをしてしまい、そのその時、夢にうなされたことを思い出した。
すぐにカタリナが起こしてくれ、夢の内容もよく覚えていなかったのだが、カタリナは心配してくれた。

だからきっと眠っている僕がまた悪い夢を見ないように、このようにしてくれているのだろう。
どうしよう。なんだか目を開けにくくなってしまった。
まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。困った。
でも、カタリナの手、すごく気持ちがいい。
胸が温かくてすごく心が満たされていく。
なんだかずっと欲しかったものが手に入ったような不思議な感覚だった。

僕はもう少しだけ寝たふりを続けることにした。

目を開けるとそこには見慣れた学園寮の自室の天井が映った。それで自分がベッドで横になって眠っていたのだと気づいた。

それにしても懐かしい夢をみた。
あれはまだカタリナと出会って間もない頃のできごとだ。
結局、あれからしばらくして、さも今目覚めたふりをして起き上がったのだ。
子どもだったとはいえ、今、考えればなかなかに恥ずかしいできごとである。

なんであんな夢を見たのだろう。久しぶりに弱っているからだろうか。

そう僕はとても久しぶりに体調を崩していた。

王子としての出かけた公務先で不運にも雨風に打たれることになってしまい、その後もなかなか休めず、学園に戻ってきてから熱を出してしまったのだ。

幼い頃から体調管理には気を使いほとんど病気をしたことのなかった自分にしては実に久しぶりの失態だった。

眠ればすぐよくなるかと思ったが、なかなか熱が引いていかないようだ。頭がぼんやりする。
これではまだ駄目だな。
もう少し眠ろうと目を閉じかけた時、扉の外から使用人が何か声をかけてきた。

反射的に返事をしたが、正直、ぼんやりした頭に内容は入ってこなかった。
おそらく使用人が何か用事で入ってくるとかそのようなことだろう。
ここに入れるのは身分の確かなものだけだ、特に心配はない。
僕は再び目を閉じ、押し寄せる微睡に身を任せた。

その微睡の中で、何か温かくやわらかいものがそっと頭にふれて、優しく動いた気がした。
すごく気持ちがよくて、

「……気持ちいい。もっと」

そう口にすると、

「大丈夫、大丈夫、早くよくなりますように」

優しい声が聞こえてきた。
その心地よい声に誘われ僕は深い眠りに落ちていく。
いつしか感じた胸が温かくてすごく心が満たされていく感覚を覚えながら。

再び目を開けると頭はひどくすっきりしていた。
どうやら熱は下がったようだ。

今度はなんの夢もみずにぐっすり眠ってしまった。

いや、また何か懐かしい夢のようなものを見たような気もするが、ぼんやりしていてどうも思い出せない。

すっかりすっきりして、ベッドから起き上がるとテーブルになにやら見覚えのない袋が置いてあるのに気が付いた。このようなもの休む時にはなかったはずだ。
寝ている間に使用人が置いていったのだろうか。
袋を手に取り、中をのぞいてみると、よく見覚えのある字で『ゆっくり休んで、早くよくなってください』と書かれていた。

それを確認すると僕はすぐに使用人を呼んで、この袋について尋ねた。

すると予想通りカタリナが見舞いに来たのだという。それも僕が一時的に目を覚まし、返事をした際にやってきたというではないか。

あの時、使用人は『カタリナ様がお見舞いに来られましたが、お通していいでしょうか?』と聞いてきて、それを僕が寝ぼけたまま通したらしい。

おまけにそうして通したというのに、カタリナが来た時にはまた寝ていた。

寝顔を見られたという恥ずかしさもさることながら、この話を聞いて、先ほど夢だと思っていた出来事が実にリアルに思い出されてきた。

優しく撫でられた感触。
あれが現実ならば、頭に置かれたのはカタリナの手で、幼い頃のように撫でてくれたのだろう。

『大丈夫、大丈夫、早くよくなりますように』

あの声もよく思い出せば、聞きなれたカタリナの声だった。

つまり僕は寝ぼけている時に、カタリナに頭を撫でられあのような言葉をかけられたのか――。
幼い頃でも恥ずかしいと思ったのに、この年であんなこと――。
しかも自分はそれで安心しきって深く眠ってしまった。まるで幼子のようだ。
顔に熱が集まってきたのがわかった。
使用人に気付かれれば、また熱が出てきたとでも思われるかもしれない。

「もう大丈夫ですので、下がってください」

僕はそう言って使用人を部屋から下げた。

一人になった部屋で鏡に目をやれば、真っ赤な顔をした情けない男の顔が映っていた。

ああ、しかも僕は確かうわ言で、
『気持ちいい。もっと』
そんなことを口走った気もする。

思い出してしまい。あまりに羞恥に僕は頭を抱えた。
ああ、次にカタリナに会う時、どんな顔をすればいいのだ。
こうして僕はしばらく自室で一人、恥ずかしさに悶えることなった。

しかし、色々と考えたわりに、元気になりカタリナを前にし、

「ジオルド様、元気になったのですね。よかった」
彼女にそう言ってほほ笑みかけられれば、考えたことなどどうでもよくなった。

そしてただ嬉しくて愛おしくて彼女を思いきり抱きしめたのだった。