(キース誘拐事件後の話になります)

『邪魔だから端の方でじっとしてなさい』
母にそう言われて部屋の隅で膝を抱えて過ごしていた。

時折与えられる食料を少しずつ齧りながら、いつもお腹を空かせていた。
それ以外の世界を知らなかったから、それが当たり前だったから疑問なんて抱かなかった。

三つになってしばらくたった頃、見たことない男が僕を迎えに来た。
母はその男から大きな袋を受け取って笑っていた。

連れていかれたのは大きな屋敷、案内された室内も清潔で綺麗で豪華で『ここでこれから暮らすのだ』と言われた時は嬉しかった。

だけど紹介された父、義母、異母兄弟たちはひどく冷たい目でこちらを見ていた。
『汚らしい。そのような者を私たちの前に出すな』
そう言われ、僕はすぐに日当たりの悪い屋敷の外れの部屋へ連れて行かれた。

ここでも僕は歓迎されていない。それだけはわかった。

部屋は日当たりこそ悪かったが、以前いた場所よりもずっと綺麗で広かった。
食事も以前よりちゃんとしたものが貰えるようになって、お腹を空かせて耐えることもほとんどなくなった。
その代わりにうまく敬語が使えない、マナーが悪いと罰を与えられるようになったけど。

父と義母は僕の存在をないものとしたけど、異母兄弟たちは違った。
僕を見つけると執拗に嫌がらせを繰り返した。殴られ、蹴られ、納屋に閉じこめられる日もあった。
僕はそれを避けるため部屋にこもるようになっていた。

だけどある日、異母兄弟たちに虐められている小鳥を庇おうとして、僕は魔力を暴走させてしまった。そして巨大な土の魔法で異母兄弟を傷つけてしまう。

その時から『化け物』と呼ばれ、屋敷のすべての人に恐怖の目を向けられ避けられるようになった。
僕は部屋から出るのをやめた。

八つになった頃だった。また見知らぬ男がやってきた。

『あなたはその強力な魔力を見込まれ、クラエス公爵家の養子になることが決まりました』
そう言われて、僕はまた新たな屋敷へと移った。

通されたのは今までの屋敷と比べ物にならないくらいに大きな屋敷だったけど、きっとここでも僕の立場は変わらないと思っていた。
部屋にこもって静かに過ごすだけだと。

それなのに屋敷の主人であるクラエス公爵は、笑顔で僕を迎え入れてくれた。
食事も同じ部屋でとることを許された。

そして義姉となったカタリナは――。
『義姉さんと呼んで』
そう言って僕の手を引いてくれた。

化け物と言われた僕を抱きしめてくれた。
その温もりを知った時、僕は初めてずっと自分が寂しかったことに気付いた。

それなのに、僕はまた魔力の暴走を起こして……カタリナを傷つけてしまった。

やはり化け物の僕は人と関わったりしてはいけなかったんだ。
僕はもう一度、部屋にこもり生きていこうと思った。

だけど、閉じこもった僕の部屋にカタリナはやってきた。

固く閉ざしたドアを壊して、光と共に入ってきたカタリナは、
『これからもずっと一緒よ』
そう言って笑顔をくれた。

それからの僕の生活はクラエス家へくる前とはまるで違うものになった。
クラエス公爵家で初めて迎えた誕生日にはパーティーを開いてもらい義父にも義母にも、カタリナにもプレゼントをもらった。

今までは異母兄弟たちのパーティーを遠くから眺めるだけだったので、自分が祝われるのがなんだか不思議で最初はどうしていいのか戸惑ったけど、満面の笑顔のカタリナにつられていつの間にか笑っていた。

それから毎年、誕生日を祝ってもらった。
もちろん家族のパーティーにも一緒に参加する。

優しくて温かい暮らしは、僕の孤独で傷だらけだった心を癒やしてくれた。

だからたとえ産みの母親にだまされ、異母兄弟に監禁され、暗い部屋で暴力を受けたとしても僕の心が折れることはなかった。
大切な家族との思い出が僕の心を守ってくれた。
待っていてくれる人がいる。僕を必要としてくれる人がいる。

そんな僕の強くなった心ですら闇の魔法はのみ込んでいった。
暗闇に引き込まれ、気づけば膝を抱えて泣いていた。

優しい家族との思い出はすべて忘れ、幼いあの日に戻っていた。
自分は誰からも必要とされない、いらない存在なのだと泣いていた。

このまま消えてしまいたいと思った僕に聞こえたのは、懐かしく優しい声、その声に導かれて顔をあげればあの日と同じ光が僕を照らしていた。

あのもう一度、閉じこもって暮らそうと決め、ドアに鍵をかけた日。
カタリナはドアだけじゃなくて、僕の心にあった壁も壊してくれ、そこから温かい光が差し込んできた。

カタリナがくれた光は暗闇の世界を照らして導いてくれた。
僕を変えるべき場所へと、必要としてくれている人の元へと。

そして僕は闇の魔法から逃れ、元の世界へと戻ってきた。

「キース、キース」
そう声をかけられてはっと顔をあげると心配そうな顔をしたカタリナがこちらを見ていた。

色々と考えて少しぼーっとしてしまったようだ。

そうだ。カタリナが僕の部屋に様子を見にきてくれたのだった。

「大丈夫? まだ辛いところがある?」

誘拐監禁され、救い出されてからまだ日が浅いため、カタリナは僕をとても心配してくれている。

僕としてはもうほとんど調子は戻ってきているのだけど、カタリナにこうして自室で休むように言い聞かせられて、それをカタリナが時々こうして様子を見に来てくれる。

「大丈夫だよ。少し色々と思い出してぼーっとしてしまっていただけだよ」
僕は笑顔を作ってそう告げたけど、

「色々と思い出して……それは誘拐された時のつらいことを?」
カタリナはあわあわと慌てだした。

余計に心配させてしまったみたいだ。しっかり否定しないと、

「違うよ。そうじゃなくて、この家にきた時のこととか、その後の楽しかったことを思い出したんだ」
「楽しかったこと?」
「そう義姉さんに釣りや木登りを教えてもらったこととかね」
「ああ、釣りはキースの方がすぐに上手になっちゃったのよね。木登りはさすがに負けなかったけど」

そうしてカタリナと子どもの頃の思い出を話す。
本気で話し出せばきりがないほどのたくさんの思い出、この思い出がある限り僕は大丈夫なんだ。

「ふぅー。なんかたくさん話したら少しお腹がすいたわね」
カタリナがそう言ったので、

「じゃあ、お菓子とお茶を用意しようか?」
と提案し立ち上がろうとしたが、

「駄目よ。キースはまだ病み上がりなんだからちゃんと休んでいて私が持ってくる」
カタリナはそう言うと腕まくりして部屋から出ていった。

はりきって出て行った背中を見送りながら、ああ、僕の決死の告白はすでに忘れさられているなと遠い目になってしまう。

誘拐監禁事件の後、僕が寝ぼけてカタリナにキスをしてしまったことがわかり、それをカタリナに、

『寝ぼけて誰かと間違ったのよ。忘れましょう』

と言われ、僕はついに長年の思いを伝えたのだ。

『僕はずっとカタリナのことが一人の女性として好きだ』

そう告げると真っ赤になって狼狽えたカタリナだけど、その後にいつものメンバーが乱入し、決死の告白もなんだかうやむやにされてしまった。

そして結局、意気地のない僕がその後すぐにまたカタリナにアピールできるはずもなく、なんやかんやで普通に接しているうちにカタリナはまったく元通りになっていた。
おそらくジオルドの時と同じで夢だったとでも思っているのだろう。

切ない。でもそれでも積極的に行動できない自分も情けない。

社交界では女性に囲まれることも多いから、その対処くらいはできるけど、いざ女性にアピールするとなるとまったくやり方がわからない。
ジオルドを見習えばいいのかと思い返しても、あれを僕ができるとも思えない。

でもせっかく思いを伝えられたのにな。
どうしたものかと考えていると、ニコニコとお茶とお菓子を運んでカタリナが戻ってくる。
相変わらず無邪気な表情である。

そんなカタリナを見ていたら、せっかくの二人の時間で色々と悩んでいるのももったいなく感じて、今は考えないにしようと考えを打ち切り、カタリナと共にテーブルを囲んだ。

「ふぅー、美味しいわね」
 満足そうにお菓子をほおばるカタリナの姿を見ていると、帰ってこられたんだと実感して胸が温かくなった。
 ここが、カタリナの隣が僕にとって帰るべき居場所なのだ。

「よかったね」
幸せそうなカタリナにつられて笑顔になり、そう声をかけると、カタリナはなぜか僕をじっと見て、

「キース、家に帰ってきてくれてありがとう」
そう言ってとても嬉しそうな顔をして笑った。

あまりにも不意を突かれた僕は、呆然として……その後、上ってきた熱に顔を赤くし『やっぱりまだ具合が悪いのでは!』とカタリナに心配されることとなった。

僕は心の中で『今後は覚悟してよね』と呟くのだった。