(13巻の中の話になります)
一番上の兄であるジェフリーに呼び出されたのは、朝の食事がすんでからすぐのことだった。

このような時間から何だと訝しんでジェフリーの部屋へ向かえば、兄はいつものへらへらした顔でなく真剣な顔をしていたので、僕は気を引き締めた。

「実は昨日、光の魔力保持者であるマリア・キャンベルの家に、闇の魔法を使う者たちが押し入り彼女と彼女の母に危害を加えようとした」
ジェフリーのその言葉に僕は息を飲んだ。

マリア・キャンベルは魔法学園で生徒会として共に協力した友人で、今でも交流のある人物だった。

「マリアとその母親は大丈夫だったのですか?」
すぐそう聞き返すと、

「ああ、幸いなことに怪我もなく、医者にみてもらい問題ないとのことで、今は魔法省で保護されている」
と答えてくれた。

怪我がなかったということでほっと息をつく。

「しかし、なぜ突然、闇魔法を使う者たちがマリアを襲ったのですか? 確か護衛もつけていたはずですよね」
僕のその問いにジェフリーは眉を寄せ答えた。

「それについてはまだ調査中だ。護衛は腕の立つ者を数名つけていたのだが、闇魔法で意識を奪われていた。その護衛も今は意識も戻り身体にも問題ないとのことだ」

闇魔法を操るサラという女性が動き回るようになり、裏で操っている人物がかなり厄介な者だとわかってから、光の魔力保持者であるマリアには秘密裏に護衛をつけていた。
しかし、闇魔法を駆使されると腕がたつ護衛すら無力になってしまう。
これはこの先、もっと色々と考えなくてはならないだろう。

「それでだな。そのマリア・キャンベルたちを救出した者なのだが――」
そこで僕はさらに息を飲むことになった。

なんとマリアを救出したのが、なぜかカタリナ、そしてエテェネルの王子であるセザールだったというのだ。

「はぁ!?」
と思わずそんな声を上げつつ、くわしく聞けば、カタリナはカタリナで、セザールはセザールでそれぞれマリアが危険な予感がして別々にマリアの家に行ったということだった。

なぜそうなるんだ、どうして同時に……とひどく混乱する僕にジェフリーは続けた。

「そこで救出の際にカタリナ嬢が闇の魔力を暴走させてしまったようで……」
「闇の魔力を暴走!?」
思わず身を乗り出してしまった。

魔力の暴走はまだ魔力になれない頃に、魔力の高い者に起こることが多いものだが、それが闇の魔力でも起こるなんて!

「強い闇の魔法を発動し、その直後に本人の意識が混濁したようだ」
「それでカタリナは大丈夫なのですか?」
「ああ、その後、ちゃんと意識も戻り、今は問題なく過ごせているようだ」
そう聞いてほっと胸を撫でおろした。

僕がいないところで、カタリナにそんなことが起きていたなんて、背にひやりとしたものが流れる。

「ですが、なぜ突然?」
カタリナが闇の使い魔を手に入れてからもうだいぶたっているのに魔力の暴走とはいまさらという気がした。

「それはまだよくわかっていないようだが、今のところ怒りが原因ではないかとのことだ」
「怒りですか?」
「ああ、カタリナ嬢曰く、マリア嬢が傷つけられているのを目にして強い怒りが沸いて、気づけばそのようになってしまったということらしい」

それはカタリナらしい理由である気がした。
カタリナは自分の大切な人が傷つくのにとても敏感なのだ。

「それで魔力が暴走して、意識が混濁したのですか……しかし、一時的ですぐに戻ったということですよね?」

「そうだね。それなのだが、自力では戻れずセザール王子が手を貸したようだ」
「セザール王子がですか!? どうやって?」
てっきり自力で戻れたと思ったのに、まさかにセザールの手を借りていたとは!

「あ~、確かカタリナ嬢を正気にするのに虚を突こうとセザール王子が、口づけしたのではなかったかな」
「……口づけ」
その言葉に僕の頭の中は真っ白になり、胸にはどす黒いものが生まれる。

カタリナの虚を突くのに口づけは確かに効き目が強いだろう。
カタリナはそういったことにものすごくなれていないから、ひどく動揺する。
虚を突くというのには有効な方法であっただろう。

それは、闇の魔力を暴走させたカタリナを助けるための行為であった。

「セザール王子がカタリナに口づけを……」
「ん、あれ、それはスザンナの創作だったかな?」

ジェフリーの言葉はもう僕の頭には入ってこなかった。
セザールがカタリナに口づけをしたという事実だけが頭の中を埋め尽くしていた。

「……ってどこ行くんだジオルド―――」

気付けば僕の足は馬車へと進み、そのままクラエス家へと向かっていた。

クラエス家に行くとカタリナは来客中だという、それもどうやら異国の人物のようだと聞けば、頭にはあの人物の顔が浮かび、さらに足が速くなる。

そして無礼とわかりつつも、ドアのノックもそこそこにカタリナと客がいるという部屋の扉を開けはなてば、予想どおりの人物とカタリナが近い距離で見つめ合っているではないか!
ただでさえ冷静さを失っていた頭の中がさらにぐちゃぐちゃになる。そして、

「セザール様、僕の婚約者にあまり気安く近づかないでもらえますか」
カタリナを自分の方へ引き寄せ、セザールに険しい声でそう告げていた。

しかし、そんな僕の態度にも、セザールは優雅に挨拶を返してきて、その余裕ある態度にさらに気持ちが揺さぶられる。

これが同じライバルでも幼い時からよく知るキースならば、ここまで心は乱れなかった。
だが、この男は、この余裕を持った男が相手だと、どうにも駄目だ。

セザールにカタリナの家にいる理由を問えば、

「ああ、昨日、カタリナ様と一緒に事件に巻き込まれたのですが、その後の彼女の様子が気になって訪ねさせてもらったのです」
あたりまえのようにそう答える。

「それはわざわざありがとうございます。しかし、カタリナは僕の婚約者ですので、彼女のことは僕に任せてもらって大丈夫ですから」
敵意をむき出しの自分の態度がどう考えても他国の王族に向けるものではないことはわかっているのに、いつものようにうまく自分を作れない。

しかし、そんな僕の態度にも変わらず対応するセザールの余裕に、さらに心が乱される。おまけに、

「そうですか、ですが昨日、共に戦った身としては、気になりまして。それに謝罪したい旨もありましたので」
そんな風に言ったセザールがカタリナに『ねっ』という風な笑顔を向けた。

僕のカタリナになれなれしそうにするなと、胸の黒いものが膨れあがる。

「あの、その件についてはもう本当にいいので、セザールさんも忘れてください」
カタリナが手を横にぶんぶんと振ってそう言った。

「……セザールさん?」
 気安い呼び方に思わず険しい声で聞き返せば、カタリナではなくセザールが、

「私がぜひそう呼んでくださいと言ったのです。カタリナ様とは親しくさせてもらっているので」
そんな風に答えた。

なぜおまえが答える。しかも親しくしているとはどういうことだ。
頭がかっと熱くなり、僕がここにきた理由が口を出ていた。

「親しくされているということで、彼女を驚かせるという目的であのようなことをされたということでしょうか?」
自分でも信じられないほど冷たい声が出た。

「あっ、ジオルド様、昨日の(鼻を噛まれた)こと知って……」
カタリナがあまりにもあっさりと認めたことで胸の黒いものがさらに膨れ上がる。

「兄から大まかに聞きました」
僕がそういうと、セザールが、

「そのことについては今、彼女にも改めて謝罪させてもらったところです。咄嗟なことで他に思いつかず、大変、失礼なことをしてしまいました。婚約者であるジオルド様にも謝罪を申し上げます」
そんな風に丁寧な謝罪をしてきた。

どこまでも立派な王族そのものの態度。そこに、

「あの、でもセザールさんがあの時にああしてくれたから、正気に戻れて助かったわけで……」
カタリナまでもそんな風に言ってくる。

そう、それはわかっている。わかってはいるんだ。だけど……

「……それは僕もわかっているんです。セザール様のその行動でカタリナが助かったことも理解はしているんです。だけど、僕でない別の誰かが君に触れるのがどうしても我慢できない。カタリナ、君は僕の婚約者だ」


 
そう、わかっているんだ。理解はしている。自分の器量が狭くて、失礼な物言いをしてしまっていることもわかっているんだ。
だけど、どうしようもなく、胸が苦しい、溢れ出た感情をどうやって納めればいいかわからないのだ。いつものように笑顔を作れない。ソルシエの王族としてちゃんとできない。

カタリナの小さな唇が目にとまる。
この唇に他の者が、この余裕ある立派な男が触れたと思うと、嫉妬がおさえきれない。

この唇に触れることが許されるのは婚約者の僕だけでありたいのに――。

僕はカタリナの唇に口を落としていた。
この人は自分のものだと、決して渡しはしないとまるで獣のようにカタリナの唇を貪った。
そして、セザールに向かい、

「カタリナは僕の大切な婚約者ですので、これ以上、彼女に関わらないでください」

そう宣言した。

腕の中のカタリナは真っ赤になり意識をうしなってぐったりしていた。

しかし、その後、『セザールがカタリナに口づけした』というのが僕の誤解だとわかった。

意識を失わせてしまったカタリナ、他の人々にも謝罪しことなきを得たが、また感情を抑えきれず暴走してしまったことに自己嫌悪と恥ずかしさを覚えた。

そして適当な情報をよこしたジェフリーをすさまじく恨んだ。