(劇場版・聖獣事件後の話になります)

「バーグ公爵家まで頼む」

俺、イアン・スティアートは御者にそう告げると、馬車の座席もたれかかり足を投げ出した。
普段なら絶対にしないようなだらしのない姿勢だが、今日だけはもう疲れ果てて姿勢を保つ気力もなかった。

予定よりかなり早い段階でやってきた今までまったく交流のなかったムトラクという国の使者団。

突然、こちらの都合など無視するように訪問の連絡をしてきて、それも予定より早くやってきた一団を混乱しながら迎えいれれば、今度はムトラクの姫が「ソルシエ王族と婚姻を結びたい」などと言い出しさらなる混乱をもらした。

本来、この使者団は兄のジェフリーが対応するはずだったが、使者団があまりに早くつきすぎたためその予定もくるってしまった。

俺は、自身の業務に、不在である国王夫妻とジェフリーの業務の割り振られている分をこなし、尚且つムトラク使者団の対応もしなければならなくなった。

双子の弟たちもたくさん仕事をこなしてくれてはいるが、ソルシエ王族の責任者としてしなければいけないことは多く、かなりきつい状況に追い込まれた。
ひたすら仕事漬けで休める時間もほとんどなかったため、心も荒んだ。

唯一、少しだけほっとできたのはムトラクの交流会でセリーナと会えたことだ。
交流会でも仕事ばかりだったが、セリーナが横にいてくれる。それだけで頑張れた。

それでも忙しすぎて、ほとんど私的な会話もできず交流会が終われば、そのまま別れを惜しむ時間もなくまた仕事。セリーナとの交流がまったく、たりなかった。

少し前の俺だったら、それでも問題なく過ごせていた。
しかし、セリーナと思いをかわし、会いたいのを我慢するのを止めた今の俺にとっては死活問題だった。

セリーナに会いたい、声を聴きたい、触れたい、欲をいえば抱きしめたい。

そんな思いを抱え、ひたすら仕事に励み、もう少しすればジェフリーも戻ってきて、少しは楽になるかと思えた時。

なにやら大きな鳥(のちに聞いたら聖獣というものらしい)が城で大暴れするという事件が起きた。

よくわからないままも、もしこの鳥が外に出てセリーナが被害にあってはならないと必死に鳥をくい止めて………色々と落ち着いた頃に、ジェフリーが帰ってきた。

もう心身共に疲れ切っていた俺は、ジェフリーに後処理を丸投げし、セリーナに会うべく馬車に乗ったのだ。

このような事情であり、このだらしのない姿勢も今日だけは許してもらおう。
そして、俺は少しだけ目を閉じた。

目を開けると、そこにはものすごく愛らしい女性がいた。

「イアン様、お目覚めになりましたか?」

そう言って俺の顔を心配そうな顔で覗き込んでいる女性こそ、俺、イアン・スティアートの愛する婚約者、セリーナ・バーグその人だった。

今、おかれている状況がわからず混乱して少し周りに目を向けると、そこはまだ馬車の中だった。

「あの、私、イアン様が来られたのにすぐ気づいて馬車まで迎えにきたのです。ですがイアン様がなかなか降りてこられないので中を確認させてもらったら、お休みになっていたので……」

俺の混乱に気付いたセリーナがそう言ってこの状況までの過程を話してくれた。

どうやら少し目を閉じただけのつもりが屋敷についても気づかぬほどに深く眠ってしまっていたようだ。
普段ならこのようなことはないのだが、よほど疲れていたようだ。

あまりに俺がよく寝ていたので、セリーナはそのまま馬車の中で俺が起きるのを待つことにしたということだった。

「こんなところで待たせてしまうなんて、すまなかった」

俺がそう言うとセリーナは慌てたように、

「あ、いえ、私こそ眠っているイアン様をずっと見ていてすみません」

そう口にして、はっとしたように口に手を当て、顔を赤くした。思わず口にしてしまったという感じだった。
そんなセリーナにつられて、俺の顔にも熱があがってきた。

そうだよな。馬車で待っていたということは寝顔を見られたということだよな。
セリーナに寝顔を……。

「そのみっともないところを見せてしまいすまない」

俯きつつそう告げると、

「その、みっともなくなんてないです。イアン様は寝顔もとても素敵でした!」

セリーナが熱の入った声でそう返してきて、なんだか居たたまれなくなった。

「その、セリーナ、わかった。ありがとう」

熱の集まった顔でそう言うと、セリーナははにかんだように笑った。本当に可愛い。

馬車の中にしばしの沈黙が落ちた後、

「イアン様、お仕事は大丈夫なのですか?」

セリーナが心配そうな顔をして聞いてきた。
ここのところ忙しすぎて、セリーナのところへこられないことは伝えてあったからな。

「ああ、ようやく少し落ち着いた。だから少しでもセリーナに会いたくてきてしまった」

素直にそう言えば、

「……嬉しいです。私もイアン様に会いたくてしかたなかったです」

そう真っ赤な顔で呟いたセリーナがあまりに愛らしくて、気づけば腕が伸びていた。

華奢でやわらかい身体を腕の中にしまい抱きしめる。
凄まじくいい匂いがする。もうこのまま放したくない。

「……イアン様」

腕の中セリーナの鈴のような声が耳をくすぐる。

まだ婚姻を結んでいないのだからと、なんとか我慢している理性が擦り切れそうだ。

なんとか理性を保ち、腕からそっと放したセリーナのこちらを見上げる顔がまたあまりにも可愛らしくて、また理性を失いそうになる。

そんな風に俺は、欲望と理性を戦わせつつ、セリーナとの久しぶりのひと時を過ごした。

そして、今回の件が片付いた暁には多めの休みをもぎ取り、セリーナとの時間を多く作ってやろうと決めた。