「うわっ、すごい雨」

玄関から出ようとして、私はようやく外が土砂降りであることに気が付いた。
寝坊してしまい準備をするのに必死で、外のことを確認している暇がなかったのだ。

これからあっちゃんと約束をしている場所まで自転車で行くつもりだったのに、これでは到着する頃にはびしょ濡れになってしまう。

「どうしよう」
そう呟き、外を眺め途方にくれていると後ろから、

「おい、どうした。さっさと出ろよ」
そう声をかけられた。

振り返ればよそ行きの服を着た2番目の兄が立っていた。おそらく兄もこれから出かけるのだろう。

「いや、出たいけど、外、すごい雨なんだよ。これじゃあ、着く頃にはびしょ濡れになっちゃうよ」
そう返すと、兄はにやりとして、

「俺は車を借りていくから問題ない」
と車の鍵を掲げてみせた。どうやらすでに免許のある兄は両親から車を借りて出かけるようだ。

「えっ、いいな! 私も乗せてって!」
すぐさまそう頼むと、兄は「え~」と嫌そうな声を出したけど、とりあえずと言った感じで私の行き先を聞いてくれた。

そして私が行き先を告げると、

「仕方ないな。通り道だし、乗っけてってやるよ」
と言ってくれた。

「ありがとう」
お礼を言った私に、

「お前が免許取った時にこの借りを返してもらうぞ」
そんな風に言った兄に私は、

「わかった~」
と元気に返事をした。

こうして兄に目的地まで送ってもらい、びしょ濡れになることなく、目一杯楽しんだ。

そして帰る頃には雨が上がっていたので、ルンルンとスキップで帰宅した。

その後、私は偶然、母から兄の目的地が私の行き先とまるで反対方向だったことを聞いた。
『通り道』というのは私に気をつかわせないためだったようだ。

基本、私への扱いは雑で口もいいとは言えない兄だが、実はすごく優しいことは昔から知っている。
よし、私が免許を取ったら、今度は兄のことを送ってあげようと心に決めた。

「……リナ様、カタリナ様、起きてください。朝ですよ」
そう呼ばれて目を開けると、そこにはいつものようにアンが立っていた。
そこは見慣れたクラエス家の自分の部屋。

すごく懐かしい夢を見たようだ。今世でなく前世の夢。

記憶を思いした8歳の頃はよく夢を見たけど、ここ数年はほとんど見ることもなくなっていたのに珍しいな。そう思っていると、

「本日はカタリナ様の誕生日ですね。おめでとうございます」
アンが笑顔でそう告げてきた。

そうか、今日は私の18歳の誕生日だ。

18歳、ついに前世の年齢を超したのだ。だからあの夢を見たのかもしれない。

17歳で事故に合い死んでしまった前世。
18歳になれなかったので車の免許を取ることはできなかった……だから兄を送迎することもできなかった。

してもらったことを返したかったのに、返すことができなかった。
それまでの感謝も何も伝えられなかった。胸がずきりと痛んだ。

「カタリナ様、どうされました?」
私の変化に聡いアンが心配そうな顔をして聞いてきた。

「ううん。なんでもない。寝起きでぼーっとしちゃっただけ」
アンに心配かけたくなくてそう言うと、

「もし、体調が優れないようでしたらすぐに言ってください。パーティーに来てくださる皆さんも心配されますから」
と返されたので、

「うん。わかったわ」
そう返事をした。

今日は私の誕生日パーティーが開催される予定なのだ。
パーティーと言っても15歳の成人の時のように大きなものでなく、親しい友人たちと身内だけのささやかなものだ。

それこそ初めはお父様とキースが身内でお祝いをしてくれようとしていたみたいだけど、それを聞きつけた皆もぜひ一緒にということになり、パーティーをしようということになったらしい。

あまり詳しくは知らないのだけど……というか昨年も一昨年も結局、こんな感じで皆が祝ってくれているんだけど、これはいつまで続くのだろう?もしかして私が嫁に行くまで続くのだろうか?

少し気恥ずかしいけど、でもやっぱり嬉しくもある。

さきほど胸に走った痛みを振り払って、私はぐっと顔をあげた。

前世(過去)のことで下を向いていては祝ってくれる皆に申し訳ない。
今日は笑顔で祝ってくれる皆にたくさん感謝を伝えよう。

「おめでとう」「おめでとうございます」
パーティーがはじまり、皆からお祝いの言葉をもらう。

それから、プレゼントももらった。農作業用の道具に、高級な苗に、ロマンス小説。
皆、私の趣味をよくわかってくれている。

「カタリナ、ほら、評判の菓子ですよ。どうぞめしあがれ」
ジオルドが笑顔でそう言って、お菓子をお皿に載せて勧めてくれる。

そこへ、同じく笑顔のメアリがやってきて、

「カタリナ様、こちらはカタリナ様のお好きなお菓子屋さんの新作ですわ。こちらをどうぞ」
そう言ってお皿を差し出してくれた。

皆、本当に私の趣味をわかってくれている。
そのことだけですごく嬉しくなり笑顔になる。

「メアリ嬢、カタリナには今、僕がこちらの菓子を勧めていたところですよ」
「私も違うお勧めがあるのです。お勧めするのに早い者が勝ちという法則もありませんでしょう」
「いえ、そこではなく婚約者同士の交流を邪魔しないでくださいということです」
「それでしたら、私も友人としての交流を――」

そんな風に二人が笑顔でやりとりをはじめたところに、

「義姉さん、これ義姉さんがこの間、食べたいって言っていた――」
とキースがやってくると、ジオルドとメアリが今度はキースに笑顔を向けて、

「「カタリナ(様)には今、僕(私)が菓子を勧めていたところです(わ)」」
綺麗にはもってそう言ったので、キースは固まってしまった。

「カタリナ様、ロマンス小説のお話をしましょう!先日、出たばかりの新作なのですが――」
「ソフィア、走るな。落ち着け」
目をキラキラさせたソフィアと、ニコルがやってくる。

「あの、カタリナ様、今日のために新しいお菓子をつくりました」
マリアがはにかんだ笑顔で、私の大好きな手作りお菓子をくれる。

「おい、少しそこの舞台を借りるぞ」
そう言うとアランが会場にある小さな舞台でバイオリンを演奏してくれた。心が弾むような素敵な曲が流れてくる。

こんなに祝ってもらって私は本当に幸せ者だなと心から思う。

そして盛り上がったパーティーもそろそろお開きになる頃だった。

「元気になったみたいですね」
ジオルドが私にだけ聞こえる声でそんな風に言ってきた。
「?」
意味がわからずはてなを浮かべる私にジオルドは、
「パーティーがはじまった頃、少し元気がないようでしたから心配しましたよ」
とさらりと言った。

「気づいてたんですか!」
きづかれないように笑顔でいるようにしたのに――。

そう結局、朝、見た夢の記憶はなかなか振り払えなくて胸の痛みは消えてくれなかった。
それでもせっかく皆がお祝いしてくれるパーティーだからと、笑顔を作った。

そうしているうちに楽しくて、嬉しくて気がつけば本当に笑顔になっていたのだ。

「ええ、もちろん僕は君の婚約者ですから――と言いたいところではありますが、他の皆も気づいていたみたいですよ」
ジオルドはクスリと頬をあげそう言うと、皆に目線を移した。私もつられてそちらに目をやる。
私が見ているのに気づくと、皆、それぞれほほ笑んでくれた。

皆、気づいて心配してくれていたんだ。

「あの、すみません。心配をかけてしまって」
そう言った私にジオルドは少し目を見開いた。

「気にしないでいいんですよ。僕らが勝手にしたことですから」
「でも……」
「それにカタリナだって、僕や他の皆が、元気がなければ心配してくれるでしょう?」
「それはもちろん!」
しっかり頷いてそう答えるとジオルドは、
「だから僕らも同じように君を心配するんですよ。君がしてくれることを返しているだけです。そして君がこのパーティーで元気になってくれたら、それですごく安心して嬉しいんですよ」
そう言ってほほ笑んだ。それはとても優しい笑みだった。

「ですから気にせず元気に笑っていてください」
「ありがとうございます」
私は心からお礼を言った。

前世のお母さん、お父さん、お兄ちゃんたち、あっちゃん、皆―。
私は、生まれ変わったこの世界でもとても素敵な人たちに出会えたよ。
優しくて大切な皆に私は、前世でできなかった分ももらったものを返していくよ。

きっと前世の私の大切な皆も『それがいい』って言ってくれると思うから――。