私、セリーナ・バーグはカタリナ様から送られてきた手紙を読み、思わずぐっと拳を握った。
ついに、カタリナ様にあの時のご恩を返せる時がやってきたのだと。

それは今から約一年ほど前の出来事だ。
『出来の悪い私の存在は、婚約者である第二王子イアン様の足を引っ張っているのではないか』という心の中にあった不安な気持ちを利用され、私はとんでもない事件を起こしてしまった。

イアン様の弟であるジオルド様の婚約者であるカタリナ様を誘拐し、カタリナ様の存在をたてにしジオルド様に王位継承権を放棄するように要求するというとんでもない暴挙に及んでしまったのだ!

たとえ闇の魔法で操られていたのだとしてもとても許されるような行為ではなく、特に一番の被害者であるカタリナ様には、どれだけお詫びしようと許されることではないと思った。

しかし、学園で聖母と呼ばれるカタリナ様は愚かな私にも信じられないほど慈悲深かった。
罪を許してくれるどころか、私の今後のために事件を公表することなく、なかったことにすると言ってくれたのだ。

「どう見てもセリーナは操られているだけでした。すでに操っていた犯人は捕まったのだから、セリーナに罪などないわ」
カタリナ様はそんな風に言ってくれた。


他の方からの後押しもあり、私はその言葉に頷かせてもらい、必ずカタリナ様に償いを――いえ恩をお返しすると心に決めたのだ。

事件を起こしたことは許されることではないが、そのお陰でわかったこともあった。

まず誘拐事件を起こすしばらく前に両親が『王子の婚約者を別の者にしたほうがいいのでは』と言っていたのは――私が辛そうな様子を見せることが多くなってきたからだそうだ。
『セリーナが辛いならば――王子の婚約者を別の者にしたほうがいいのでは』ということだったらしい。
よく考えればマナーや教育にこそ厳しいが、私生活ではとても可愛がってくれている両親の言葉としてはおかしいものだった。
すでに新しい執事が来て傍にいた時だったので、そのあたりも操られ、上手く考えられなくなっていたのかもしれない。
闇の魔法から解き放たれ、改めて両親が私の味方でいてくれる存在なのだと認識できた。

そして一番大きなことはイアン様が私を嫌っていなかったということだ。
これまでのそっけない態度は、私を意識していたからで、嫌いだからではなかったのだという。

それどころかあの日、イアン様の口から『セリーナ・バーグを愛している』と言う言葉をもらった!
その言葉は人生で一番、嬉しい言葉になった。

幼い頃から憧れて大好きだったイアン様、少しでもお役に立てるだけで嬉しいと思って、これまで頑張ってきた。
そんなイアン様からあんなことを言ってもらえるなんて……もう思い出すだけで顔が熱くなってしまう。

それからイアン様はもう誤解させないためにと、前より頻回に会ってくれるようになり、言葉もたくさんかけてくれるようになった。

本当にすごく嬉しい!
そして不思議なことにイアン様に嫌われているのでは……と思っていた時よりも、色んなことが上手くいくようになった。
あまり得意でなかったダンスも足が軽やかに動くようになり、頭も前よりすっきりしていた。
なんというか今なら、どこから手ごわい敵がやってきても、簡単に撃退できそうな気がしていた。

そんな時、カタリナ様から『後輩であるフレイ・ランドール嬢を助けて欲しい』とお願いされたのだ。
これはついにご恩を返せると意気込んでしまうというものだ。

しかし、そうは言っても私自身はまだただの公爵家の令嬢でしかないため、そこは当主であるお父様に許可をもらいにいった。
お父様は予想通り『いくらでも力を貸してあげなさい』と私以上に意気込んで言ってくれた。

誘拐事件の件で私がカタリナ様に感謝している以上に、お父様は『娘を救ってくれた』とカタリナ様に強く感謝しているのだ。そのため、
『これで少しはご恩を返せるな。なんだったらこれを機会にランドール家を再起不能なまでにやってしまうか。私の可愛いセリーナに色々とやってきた報いをそろそろ受けさせてもいいかもしれない』
と物騒なことまで言い出してしまったので、そこは必死に止めておいた。

ランドール家に対しては私も思うところは多々あるが、そこは一応、ジェフリー第一王子殿下の派閥筆頭、ここまでのバランスなどを考えると、再起不能になられると色々と面倒だ。

お父様もそれをわかっているからこそ今まで黙っていたというのに、私があちらの派閥の暴走した貴族に闇の魔力で操られてから、好戦的になってしまっている気がする。

そんなやり取りがありつつも、無事に許可をもらい、私は次にイアン様の許可を得るべく手紙を書いた。

私の家はイアン様の派閥の筆頭であり、ランドール家はジェフリー殿下の派閥筆頭である。
よって我が家がこれから行うことにはイアン様にも関係してくることだ。

ただ今までもランドール家とはずっともめ続けてきており(一方的に因縁をつけられてきた)、このことで大きく何か変わるとは思わない。これはお父様も同じ意見だ。
むしろフレイ・ランドールという少女の立場や状況を考えれば、保護してあげることは力を持つ者の義務、正義感の強いイアン様もおそらく二つ返事で頷いてくれるだろう。
そう思いながら手紙を書いた訳だったのだが、なんと報告の手紙を出していくばくもなく、イアン様が、我が家にやってきたのだ!

「セリーナ」
そう私の名を呼び慌てた様子でやってきたイアン様の手には私が出した報告の手紙が握られていた。ということは間違いなく手紙の件でこられたのだ。それもこんなに慌てて。

「あの、イアン様。フレイ・ランドールの件ですよね? イアン様にご迷惑をおかけすることはないと思いますが、問題があったでしょうか?」

我が家とランドール家との確執はもうずっと続いており、ランドール家でひどい仕打ちを受けた使用人や関係者の保護も何度か行い、イアン様もそれは承知している。
とくに今回のフレイ・ランドールの処遇はかなり可哀そうなもので、イアン様が反対するとは思えなかったのだが。

「ああ、フレイ・ランドールについては少し調べていたところで、保護してあげられるならそれにこしたことはないと思っていたが」

やはりイアン様も同じように思っていたらしい。ならなぜこんなに慌てているのだろう?
不思議に思ってイアン様を見つめる私にイアン様はなんとも困ったような顔をして、

「ただ今回の件は君が自らの友人だとして保護するというじゃないか」

と続けた。

そう今回、フレイ・ランドールを保護するにあたる理由をフレイ・ランドールを私の友人とすることにしたのだ。

元々、フレイ・ランドールはカタリナ様の後輩で親しいとのことだし、私はカタリナ様と親しくさせていただいているので、そこでつながった友人とするつもりだ。

「はい、そうですが、それが何か?」

考えた設定にそれほどおかしな点はないと思うのだけど。

「そんな風に君が矢面に立てば、君にランドールが何かしてくるかもしれないじゃないか、大丈夫なのか?」

イアン様が心配そうにそう言ったことで私は、イアン様があせっている理由にようやく気付いた。

「あの、ご心配、ありがとうございます。ただ、ランドール家もさすがに表立って我が家に立てつくことはできませんので、私の身に危ないことが起こることはありません。父も同じ意見です」
 
私だけではなく有能としられる父も同意見だと告げるとイアン様は少しほっとした顔を見せた。

「そうかそれならいいのだが、しかし、身の危険がなくとも、嫌がらせはあるかもしれないから、あまり屋敷から出ないでいた方が――」

イアン様がそんな風に言ってきたので、私は思わずクスリと笑ってしまった。

「ランドール家の嫌がらせなど、もう十年以上、受けていますからまったく大丈夫です」

そう、ランドール家がジェフリー殿下の派閥を作り、こちらもそれに対抗するためにイアン様の派閥を作ってからずっと、イアン様の婚約者で派閥筆頭のバーグ家の令嬢ということでランドール家からは様々な嫌がらせを受けてきている。
悪口、陰口はもちろん、わざとドレスを少しだけ汚しにきたり、物をこっそり隠されたり、訴えるほどではない嫌がらせはたくさんされてきた。

最初こそ驚いたし、傷ついたこともあったけど、次第にそうしたものにもなれていった。

イアン様に嫌われていると思いこんでいた頃の『イアン様につりあわない』と言われたことこそ堪えたが、他のことはもうさほど気にならなくなっていた。

私が明るくそのことをイアン様に伝えると、イアン様はとても驚いた顔をした。

そう言えば、今までイアン様にこのようなことを話したことはなかった。
私の話など興味はないだろうなと思っていたからだ。

「―――まさか、セリーナがそんな目にあっていたなんて、俺は何も知らず、何もしてやれなかった。本当にすまない」

真面目なイアン様はそう言って深く頭を下げ、

「これからは君がもうそんな目に遭わないように俺が守ろう」

そんな風に言ってくれたけど――。

「イアン様、顔をあげてください。謝罪は不要です。これくらいのことは他の王子殿下の婚約者方も経験されていると思います。実際、カタリナ様もそのようなことがあるとおっしゃっていました」

そうなのだ。あんなに素晴らしいカタリナ様でも嫌がらせを受けたことがあるというのだ。そう考えれば私が嫌がらせを受けるのも当然のことだ。

「それから、そうしたことからは守っていただかなくても大丈夫です。それくらい受け流せなくてはイアン様の隣に立てませんから」

イアン様から愛されていると知って私は前よりずっと強くなれた。

『私ではイアン様に釣り合わないのではないか、婚約者は別の者に代わった方がよいのではないか』
そんな風にうじうじしていた私はもういない。
イアン様が私を、セリーナ・バーグを選んでくれたのだ。
私は自分に自信を得て、そして覚悟を決めた。

イアン様の碧の瞳を真っ直ぐ見つめ、

「私、守られるばかりでなく、隣でイアン様を支えることのできる存在にきっとなりますから、待っていてください」

そう告げた。
碧の瞳は大きく見開かれ、そして次の瞬間に私はイアン様の腕の中に包まれていた。

えっ、えっ、これはどういう状況なの!?
混乱する私の耳元でイアン様が、

「これ以上、俺の心を奪わないでくれ」

なんて甘い声で囁いたので、すっかり血が上ってしまい。頭が真っ白になってしまった。そのため、

「……ああ、早く婚姻したい」

というイアン様の切ない呟きは耳を通り抜けて行ってしまった。

こうして、私はイアン様に思っていたことを告げることができた。
その日からまたさらにイアン様が訪問してくださる日が増えた。
嬉しい反面、イアン様の身体も心配で、
『お仕事も忙しいでしょうから無理しないでください』
と告げると、

『我慢する方が危険だと気づいたので、このほうがいいんだ』
とお返事をくれた。

(休むの)を我慢すると(身体が)危険ということかしら?
それでしたらしっかり休んでもらわなくては!
今度、カタリナ様が言っていた疲れをとると言う『マッサージ』を教えてもらってイアン様にして差し上げましょう。

ちなみにイアン様のこの言葉の本当の意味が――
『(セリーナに会うのを)我慢する方が(暴走してしまい)危険だと気づいた』
というものであったのを知るのはまだ少し先のことだ。